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■ ガボンという国 

日本の衆議院選挙の日、アフリカのガボンでも大統領選の投票が行われた。

 ガボンは、アフリカ大陸の西側、赤道のあたりに位置する海に面した国で面積は日本の10分の7ほど、フランスの元植民地で石油、マンガン、ウランなどの産出国である。

 選挙は41年間大統領の座にあったオマール・ボンゴが7月に亡くなったために行われ、候補者はボンゴの息子のアリ・ボンゴの他に18人いたが、ボンゴ一族の支配を終わらせるために団結しようと、うち15人が投票日の1週間前に候補から降り、最終的には4人の戦いとなった。

 戦いと言ってもテレビで見る限り、首都はボンゴの巨大なポスターばかりで、公平さは感じられなく、選挙運動にはガボンで人気のあるラップのミュージシャンを使っている。

 故ボンゴは、フランスに宮殿のような家をいくつも所有し、国家予算を使っている疑いがあると調査するジャーナリストもいる。息子のアリはフランスで育ち教育を受けたため、自分の民族の言葉は話すことができない。父親に28歳で外務大臣に任命され、父親が亡くなった時は、軍の指揮官だった。


 投票から4日後、当選者はアリ・ボンゴと発表があった。残る候補者3人が開票結果は納得できないとすぐに再カウントの訴えがおこしたが、ボンゴは自分が大統領であると勝利宣言、各地で40年以上続いたボンゴ政治に反発する人々が道路にバリケードを築いたり、ガソリンスタンドに火をつけ、軍の出動となった。

 人々の怒りが爆発したとき、いち早く船で沖に出て別の町に避難した一行がいる。ガボンの石油を吸い上げてフランスに送り出す、いわばストローのようなフランス人だ。
 ガボンの石油はフランスに運ばれ、毎年一定の額が支払われているらしい。ガボンには中央銀行もないという。


 手元にある1982年版の現代用語の基礎知識の付録、世界時事ニュース地図を見てみた。このころ、アフリカでまだ独立していないのは南アフリカとナミビアだけである。
 
 統計は78年頃のもので、当時アフリカで一人あたりの国民所得が日本の10%を超える国は観光国のセーシェル20.6%、モーリシャス15.3%、鉱物の豊富な南アフリカ25%、ナミビア(当時は南アフリカの植民地だった)が17.9%、石油の産出国ナイジェリアでさえ9.9%だ。なのにガボンだけが突出して54.8%となっている。間違いでは?と思うような数字だ。

 これだけ所得があるのであれば、30年を経た今、せめてインフラくらいは整備されているはずだ。なのに、人々の暮らしは貧困のうちにある。


 41年間同じ大統領で、息子がまた大統領になった国ガボン、選挙後の暴動のことは、フランスのニュースで少し報じられただけで死者の数も定かではない。
 2週間が過ぎた今日、ガボンで投票用紙の再カウントが決まったというニュースが流れた。

 ガボンに対しては”民主化”を押しつける国も出てこなければ、緑やオレンジに旗の色を統一してレボリューションを叫ぶ”改革派”も出てこない。

 同じ大統領が何十年その座にいようが、問題ではないのだ。資源を吸い上げるストローがどこにつながっているかで”独裁者”にもなり”国民の父”にもなるのだ。

 

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