第1回ジンバブエ・ミュージシャンズディ その3
ふたたび観客が沸き上がったのは、いま大ヒットしている曲が聞こえてきたから。MURAMBINDA、歌っているのはサンブコ(橋)というバンドだ。はじめてこの曲を聞いたとき、私は感動すら覚えた。素晴らしい出来ばえのJIT。タンタンタンタンと木槌を打つような早いリズムの中に、何をいれて変化をつけるかが決めどころである。終わりそうで終わらない、もう、ここまでくるとステージは、立ち上がっても見えず、椅子の上に立って、後ろの人に叱られないように、一瞬見るしかなくなってしまった。
時間は昼をとっくに過ぎて、午後2時だ。ショナ語で呼び出しのアナウンスが流れた。マングゥェンデ教育文化大臣を招待し、参加する、との返信を受け取っているが、はたして来てくれているだろうか。椅子にちょこっと上がってみてみると、ステージの上に、大勢の人に囲まれて、大臣、ハラレ市長、NAC(国民芸術評議会)の議長が立っていた。大臣がショナ語でスピーチをはじめ、亡きミュージシャンの名前をひとりずつ読みあげる。それに応える聴衆のエネルギーに、私は圧倒された。
3人のスピーチは盛大な拍手と歓声を受ける。こんなに歓迎されるなんて、選挙に当選した直後でも、こうはいくまい。まるで、テレビで見た、独立の式典のような賑わいだ。
この先も、何も変わらないかもしれない。しかしここで、亡きミュージシャンの名が大臣から読み上げられることにより、残された子どもや家族はいま以上に、彼や彼女のことを誇りに思うのではないだろうか。残した業績は、少なくとも、大臣の口から語られるほどであるのだ。
このコンサートを、公式行事として、毎年続けていくことができたら、国民が楽しみに待つような1日をお膳立てできたら、と思う。
市長がステージから席に戻ると同時に、頭上から木の枝が落ちてきた。見上げると少年がふたり、枝に乗ってコンサートを見物しているのだった。となりにいた先生ふうの男の人が、危ないから降りるようにといっても、まるで効き目がない。枝葉、メリッ、ミシッと音を立てる。これはまずい。少年が枝ごと落ちる。誰かがポリスを呼んできた。
ポリスの呼びかけじゃしょうがない、とでもいうように、少年ふたりは木から降りてくる。何ごとかと集まってきた人たちは、どうやらこのまま場所を変えずに、コンサートに目を戻すようだ。いよいよ、来賓席として確保されたロープの中も満員になり、立っている人のほうが多くなってきた。
いったいどれぐらいの人が集まっているのか。私は公園の横の高層ホテルの最上階に登ってみようと思った。人の波から出ようとする人を捜し、あとに続いた。
エレベータで18階に登り、窓の下を見て驚いた。あれでは人の波の最後なんて見えるわけがない。ありゃ、まるでビーズだ。芝生の上にこぼれた、キラキラ光る、色とりどりのビーズ。
私は遠くから聞こえてくる音楽に耳を傾け、右や左に渦を巻くように動く、色とりどりの観客を眺めていた。なんて元気なんだろう。もう、コンサートは7時間、休憩なしで続いている。体力がなければ、コンサートは”貫徹”できない。
ああ、それにしても、なんて大きくて、どこまでも続く空なんだ。18階の窓から、空気をかき混ぜるような気分で首をまわすと、白い満月にぶつかった。今日集まった人たちの、家路を照らしてくれる月が、青空に浮かんでいた。
(1997年10月31日 長征社発行 高橋朋子著 「ZIMBABWE」 より抜粋)

時間は昼をとっくに過ぎて、午後2時だ。ショナ語で呼び出しのアナウンスが流れた。マングゥェンデ教育文化大臣を招待し、参加する、との返信を受け取っているが、はたして来てくれているだろうか。椅子にちょこっと上がってみてみると、ステージの上に、大勢の人に囲まれて、大臣、ハラレ市長、NAC(国民芸術評議会)の議長が立っていた。大臣がショナ語でスピーチをはじめ、亡きミュージシャンの名前をひとりずつ読みあげる。それに応える聴衆のエネルギーに、私は圧倒された。
3人のスピーチは盛大な拍手と歓声を受ける。こんなに歓迎されるなんて、選挙に当選した直後でも、こうはいくまい。まるで、テレビで見た、独立の式典のような賑わいだ。
この先も、何も変わらないかもしれない。しかしここで、亡きミュージシャンの名が大臣から読み上げられることにより、残された子どもや家族はいま以上に、彼や彼女のことを誇りに思うのではないだろうか。残した業績は、少なくとも、大臣の口から語られるほどであるのだ。
このコンサートを、公式行事として、毎年続けていくことができたら、国民が楽しみに待つような1日をお膳立てできたら、と思う。
市長がステージから席に戻ると同時に、頭上から木の枝が落ちてきた。見上げると少年がふたり、枝に乗ってコンサートを見物しているのだった。となりにいた先生ふうの男の人が、危ないから降りるようにといっても、まるで効き目がない。枝葉、メリッ、ミシッと音を立てる。これはまずい。少年が枝ごと落ちる。誰かがポリスを呼んできた。
ポリスの呼びかけじゃしょうがない、とでもいうように、少年ふたりは木から降りてくる。何ごとかと集まってきた人たちは、どうやらこのまま場所を変えずに、コンサートに目を戻すようだ。いよいよ、来賓席として確保されたロープの中も満員になり、立っている人のほうが多くなってきた。
いったいどれぐらいの人が集まっているのか。私は公園の横の高層ホテルの最上階に登ってみようと思った。人の波から出ようとする人を捜し、あとに続いた。
エレベータで18階に登り、窓の下を見て驚いた。あれでは人の波の最後なんて見えるわけがない。ありゃ、まるでビーズだ。芝生の上にこぼれた、キラキラ光る、色とりどりのビーズ。
私は遠くから聞こえてくる音楽に耳を傾け、右や左に渦を巻くように動く、色とりどりの観客を眺めていた。なんて元気なんだろう。もう、コンサートは7時間、休憩なしで続いている。体力がなければ、コンサートは”貫徹”できない。
ああ、それにしても、なんて大きくて、どこまでも続く空なんだ。18階の窓から、空気をかき混ぜるような気分で首をまわすと、白い満月にぶつかった。今日集まった人たちの、家路を照らしてくれる月が、青空に浮かんでいた。
(1997年10月31日 長征社発行 高橋朋子著 「ZIMBABWE」 より抜粋)

- [2006/04/12 09:02]
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