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第1回ジンバブエ・ミュージシャンズディ 

なぜコンサートを企画したか

 この国には、いまだに一社が生産を独占していて競合がないために、品質も省みずほしいまままの利益を得ている会社がいくつかある。その中の一つが、レコード会社グランマだ。
 大統領が国外から戻ったときには、必ずハラレ空港で、伝統的な歌と踊りで
お出迎えし、歌と踊りなしには冠婚葬祭が成り立たず、まるで国民の大半が、歌手かダンサーと思うほどなのに、レコード会社が一つしかない。いや、正確には、発売元になっている会社は2つあるが、レコードをプレスするマシンがないため、グランマを頼るしかないようになっている。
 このグランマの評判たるや最悪で、新聞の一面に”グランマ、ミュージシャンにカラの小切手で支払う”と出た時も、私は、カラであれなんであれ”小切手を渡した”といことの方に驚いてしまった。
 というのは、私の知るミュージシャンたちは、ひどい扱いを受けていて、支払どころではない。
 --印税を払う日というのが決められていない。行っても「明日来い」といわれ、翌日行くと今度は「忙しいので出直すように」といわれる。自分のレコードが何枚売れたかも知らされず、国外で売られていても知らされず、めんどうになると「あのレコードは人気がない、レコーディングの費用を払え」。これがパターンである。
 こんな現状を知っていたので、ミュージシャンである友人のクライブ・マルンガが、新曲のテープを持って協力を求めてきたときも、私はためらわずに引き受けた。マルンガは、グランマがお金を払わないので、裁判の準備をはじめたその途端、一方的にグランマから「契約を切った」と言われている。
 彼の新曲「JENAGURU(ジャナグル・鮮やかな月)」のジャケットのデザインをし、プレスに出したが、ある楽器の音を消されたり、バランスを崩されたり、という嫌がらせを受け、いよいよ、と、仕上がってきたレコードに針を落とすと回転数が狂っていてすべてやり直し。頭がいかれそうなやり取りの後、レコード店に持っていくと、このあいだまでこちらを励ましてくれていたスタッフが、手のひらをかえしたように「店には置けない」という。グランマ発としか思えない嫌がらせが先回りしていたのだ。低俗に底なし。ハラレに大小100軒以上あるレコード店の中で、引き受けてくれたのは、ファーストストリートの「ポップショップ」一軒だけだった。
 ジンバブエがだめなら、と、マルンガはレコードを持って南アフリカに行き、南部アフリカ最大手のレコード会社タスクと、3年間契約を結んでいる。
 だが、ここでやめてなるか。私たちはこの7月、JENAGURU MUSIC PRODUCTIONS という会社を設立した。マルンガは、亡くなったミュージシャン(彼は年齢だけでなく、一目おいているゆえに 敬愛する兄貴ビックブラザー と呼んでいる)たちの墓石を買って、弔う事からはじめたい、という。
 私は、あの人気者だったミュージシャンたちが、墓石もないまま眠っていると聞き、言葉を失った。
 まず、JAMES CHIMOMBE(ジェームス・チモンベ)、1991年10月没、38歳。日本にもファンは多い。この国のベスト3にはいるシンガーだった。いまもラジオから彼の曲が流れ、テレビでビデオが流れ、レコード店にはベストヒットLPが並んでいる。
 それから、ギターリストのPICKET CHIYANGWA(ピケット・チィヤングゥワ:ニックネームは ウィルソン・ピケット)、1991年8月4日没、40歳くらい。トーマス・マフモ&PRIDE OF AFRICA のすばらしいギターリスト。ンビラをギターに訳した第一人者だ。そのことは、誰もが知っている。
 そして、TOBIAS AREKETA(トビアス・アリケータ)、1990年9月7日没、31歳。SHAZI(シャズィ:スラングで”友達”という意味)BANDのメンバー。あのトーマス・マフモの曲 MUGARANDEGA(ムガランデガ)の中で♪He is a true man of Africa♪ と少年のような声で歌いながらトーマスを紹介しているのがトビアスだ。私はあの曲を、何度聞いたことか。
 マルンガは、さっそく3人のミュージシャンの遺族に、墓石を用意させてほしいと申し出、他の亡くなったミュージシャンの遺族にも、援助をしていく計画があるので、訪ねてくるようにと、新聞や雑誌で呼びかけた。
 こののちしばらくのあいだ、想像を越えるような、残された家族たちの現実を垣間見ていく。中でもトビアスは、食べ物に毒を盛られて、つまり毒殺されており、墓石を置く儀式の中で、母親が亡き息子に、自分で犯人を示すようにと話しかけ、同じ席で母親は、犯人を知っていることをほのめかしている。
 弔いを終え、次はコンサートだ。亡くなったすべてのミュージシャンをしのぶ記念のコンサート。できるだけ多くのバンドに演奏してもらい、ストリートキッズも失業中の人も、子だくさんの人も、誰もがこられるように、無料でなければならない。資金をどうするか。私たちは、思いあたる団体に出資依頼の手紙を書くことからはじめた。

 (1997年10月31日長征社発行 「ZIMBABWE」高橋朋子著 から 抜粋)


高橋 著書 「ZIMBABWE」

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