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■ 土曜の朝、ラテマ通り 

数日前に、雷がゴロゴロと鳴りひびき、風がビュン
ビュン吹いたてからというもの、ますますパソコンの
接続がむずかしくなりました。
やっと繋がったかと思うと、すぐに切れ、同じことを
20分以上もくりかえし、それでもだめで諦めることが
多々あります。

おまけにどうでしょう、この断水。昨日まで4日間、
一滴の水も出ませんでした。なのに、水道代の請求書
だけは届いて、開いてみると10倍以上値上がりして
いるではありませんか!

このところ、ジンバブエの新聞の発行部数が激減して
いるようで、朝6時半にはもう売り切れになっています。
あまりに部数が少ないので、早い時間に新聞を買って
それを高い値段にして売っている人が現れました。

今朝、最寄のスーパーをめざして歩いていると、
自転車に新聞を積んだ青年がやってきたので、
「その新聞を売って!」と声をかけると、
ツバメみたいにくるーんと自転車をユーターンさせて
戻ってきてくれました。ずいぶん遠くから走って
きたのか、額には玉の汗です。
新聞の値段は、これまでの3倍になっていました。

久しぶりに見る新聞の一面は
”我々は何も隠しているものはない(大統領)”
裏表紙は「筋肉マニア、ボディビル2007年優勝者」
筋肉男ミスターアフリカ3人の写真、
付録のタブロイドは、今は亡きラッキー・デュベの
写真で「デュベの父親はジンバブエ人?」
歩きながらこのあたりまで見たところで、声を
かけられました。
顔を上げると、彫刻家のドミニック・ベヌラの家の前で、
ゲートが開いていて、庭に制作中の大きな石の彫刻が
たくさん並んでいるのが見えました。彫刻家たちの
共同の作業場なのです。
「わーっ、素晴らしい庭ね!」というと、
彫刻家はうれしそうに右手の親指を立て、
「そうなんだ」と答えました。

これが土曜の朝のはじまりです。

              高橋朋子(ジンバブエ)
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■<悲報>ラッキー・デュベ、車強盗に撃たれ死亡 

10月19日夜、南アフリカで最高の人気を誇るレゲエ歌手、
ラッキー・デュベ(44歳)が、車をハイジャックしようと
待ちうけていた強盗に撃たれて死亡した。

デュベは、車を止めて15歳と16歳になる娘と息子を
降ろし、走り去ろうとしたところを強盗に撃たれたという。
子供たちが泣き叫ぶ声に、人々が現場に駆け付けたが、
犯人は逃走した後だった。
現在、南アのトップの調査機関が犯人の行方を
追っているという。

なんと悲しいニュースなのだろう・・・・・・。

私達は1984年のデビューアルバムから、20年以上
デュベの歌を聴き、デュベのエネルギッシュなダンスが
見物のステージを楽しみ、そして卓越した切れのよい
音楽ビデオを楽しんできた。
常に人々の立場で、人々が感じていることを音楽にし、
アパルトヘイト下から今に至るまで、人々の心を代弁
してきたデュベが、車強盗に殺されてしまったのだ。
それも、子供たちの前で・・・・。

車など、毎日数え切れないほど生産されている。
その車、たった1台のために、アフリカ中の音楽ファン、
世界中のレゲエファンが愛しているラッキー・デュベが
殺されてしまったのだ。
私達ファンは、悲しくて悲しくて、やりきれない。

南アフリカはワールドカップで、今、扉が開くところ
だったのだ。
音楽ファンだけではない。
サッカー選手も、サッカーファンも、みな泣いている。
デュベは人々が選んだ本当のアンバサダー(大使)
だったのだ。
そのアンバサダーを、車欲しさに撃つなんて・・・・・。

南アフリカをこんな国に誰がした。

         高橋朋子(ジンバブエ)

■ 遠くにジャカランダの紫の花を眺めながら 

07jakarand.jpg


ハラレで開催されたトラベルエキスポで、「地球の歩き方」という
旅行者向けの本のジンバブエを担当している女性に
会った。6月に東京で、この本の編集部の人とアフリ
カ関係の催しで会ったのがきっかけである。

「ジンバブエの話を色々と聞ければ・・・」と、その女性に
電話をもらった時、私は14~15年前のことを
思いだした。
「地球の歩き方」が、ジンバブエという国を紹介する
ことになったので、その取材をしているというSさんと
いう女性が訪ねてきて、印象に残っていたからだ。

その頃、ハラレの中心街にあるファーストストリートでは、
マサイサイという男性2人のバンドが手製のドラムセットを
叩き、ギターをひいて毎日歌っていた。
2人とも盲目で、10歳くらいの息子が父親の手を引き、
また観衆からお金を集めていた。
この2人組は、歌も演奏も上手く、レコードも出しており、
人々は足を止めて聞き入ったものだ。
Sさんは、マサイサイが演奏する様子を描いて、当時
私が発行していたミニコミ誌「マングゥワナニ」に投稿して
くれた。アフリカの人に対する敬いがある絵で、
紙面で紹介させてもらった。

Sさんは、ゆっくりとジンバブエを旅してまわり、再会した
時にはンビラを持っていた。
旅をしている間に教わったという曲をひいて
聞かせてくれたものである。


この14~15年の間に、世界はずいぶんと
変わったような気がする。
今や、携帯電話とデジタルカメラがなければ
取材はできないかのようだ。

遠くに紫のジャカランダが見えるエキスポの会場の
ホテルでその女性に会い、ジンバブエのここ数年の
変化について話をしながら、
私は、15年前の日本と今の日本を、心の中で
何度も往復した。

      (ジンバブエ 高橋 朋子)

■ ヨハネスバーグで迎えた祝日 

先週、南アフリカのヨハネスバーグに行ってきた。
ハラレから飛行機で90分の距離だ。
以前泊まったことのある空港近くのホテルに予約
の電話をすると、なんと料金が2、5倍近くになっていた。
2010年のワールドカップに向けて、南アフリカでは
物価がどんどん上がっていっているのかもしれない。
ホテルより料金が安いロッジに泊まることにした。


ヨハネスバーグ空港のインフォメーションデスクの前で
タクシーの運転手を捜していると、小柄な男の人が
近寄ってきた。
ロッジまでの料金を聞くと、メーターなしで75ランド
(約1500円)と決まっていると言う。
わずか5kmの距離なのに高いような気がして、背後の
デスクの女性に聞いてみた。
   「こちらの運転手は、あてになるんでしょうか?」
   「胸の国旗のバッジはオフィシャルの印だから、
    オフイシャルであることは確かです。」
なんだか、よくわからない返事だ。運転手であることは
確かだから、あとは自分で判断しなさいと言うことなの
だろうか。
私はその運転手の車で行くことにした。

空港は、どこもかしこも工事中で、天井にはひらひらと
ビニールが貼りつけられている。何か落ちてくるのでは、
と思うほどだ。

その運転手の車は、ずいぶんと遠くにあり細い通路を歩き、
地下に降りて更に歩いた。果してこんなところにタクシーを
止めるもんだろうか。
失礼とは思ったが、改めて聞いてみた。
   「本当にタクシー運転手なんですか?」
   「本当に本当さ。空港が工事中だから、ここに駐車
    するしかないんですよ。あなたは大変いいことをし
    たんですよ案内所でどんなタクシー会社か確かめ
    たんだから。」

その運転手の車は、なんと10席以上あるツアー客用の
真っ白なバスだった。助手席は上がり台がいるほど高い。
   「なーるほど、大きなバスだから料金も高いわけね。」
   「No No No! 公定料金ですよ。もしおかしいと
    思ったら案内所に戻って聞いてみてもいい。」
そう言われても、案内所はもう遠く、戻る気にもなれない。


車は地上に出て、ハイウェイをすごいスピードで走り出した。
どの車も目的地に1分でも早く着くこと以外考えていない
かのようにぶっ飛ばして行く。
味気ない道路、遠くには高圧線が走り、どこもかしこも人の
手が加わった模型のような景色だ。
ホッとする風景は、この町の一体どのあたりにあるんだろう。
運転手と世間話をする間もなく、車はロッジに着いた。
   
ロッジの受付には、白人と黒人の男女がいたが、2人とも
無愛想で客の方が反対に、「How are you?」などと
声をかけている。

雨が降ったのだろうか。部屋の中はうすら寒く、私は
ジャケットを着たまま、ベッドに入った。

今まで何度、この町に来ただろう。

一番記憶に残っているのは、ヨハネスバーグに駐在していた
日本の新聞記者に取材を受けた時のことだ。
できたばかりという中華街を案内してくれ、夕飯をごちそうに
なり、終らなかった取材のために、記者は翌朝、空港のロビー
まで来てくれた。
空港が、いつもとちがう雰囲気だったので、記者に聞くと、
   「今日はネルソン・マンデラの誕生日で、グレース・
    マシェルとマンデラの結婚式があるんです、祝日
    なんです!」とのことだった。

グレース・マシェルは、1986年、ヘリコプターに乗っている
ところを撃墜されて死亡した当時のモザンビークの大統領
サモラ・マシェルの未亡人である。
マシェルのヘリコプターを撃墜したのは、南アフリカ政府
(当時は白人政権下)であることを、疑う人はいない。

私がはじめてジンバブエに来たのは、その事件の数ヶ月後
だった。ラジオからは、トーマス・マフモのマシェルを悼む
『ジンバブエ・モザンビーク』や、クライブ・マルンガの
マシェルの闘いを称える『ガンバレ アフリカ(アフリカの
英雄という意味)』が流れていた。

撃墜されたヘリコプターは、その場所に、その時の状態の
まま保存されており、ナショナルモニュメントになっている。
昨年の20周年には、アフリカ全域からマシェルの死を
悼む人たちがモザンビークのその現場に集り、追悼の式典
が行われ、その様子はテレビ中継で伝えられた。


あの空港での取材からどれくらい経ったのだろう・・・・・。
天井がなく頭上から陽が射し込んできているような明るさ
だった。

ヨハネスバーグには、その後も数回行っているが、
あの祝日を超える日は、まだ来ていない。
 
       (ジンバブエ 高橋 朋子)

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

久しぶりに停電があけ?、ブログにたどりつきました、が
ついた途端に、電話回線のほうがブチッと切れました。
かろうじて画面はそのままだったので、ブログを確認しました。
昨日は朝から停電、おまけに断水でした。
とりあえず 近況の報告です。

■ 9.11を固い証拠で検証する 

    ドキュメンタリー 『LOOSE CHANGE』 

  私が最近見ているニュース番組は、南アフリカ、ボツワナ、
  イギリスのBBC、ジンバブエ、そしてイランのプレスTV
  www.presstv.com だ。
  このプレスTVが、丁度1ヶ月前にアメリカ人によって
  制作されたドキュメンタリー『LOOSE CHANGE』を4日に
  分けて放送した。最終章のパート4が放送されたのは、
  アメリカが9月11日(ここは12日だった)である。
  最初から最後まで、恐ろしい驚愕の連続である。
  ニューヨークのグランドゼロと呼ばれているあそこで
  追悼式が行われている頃、プレスTV以外にも、このドキュ
  メンタリーを放映した国はあると思う。
  (日本のように、アメリカ寄りの国では放送しないだろうが)
  このドキュメンタリーは、
  ーーーー9.11で亡くなった人達に捧げるーーーー
  とあり、「9.11で家族や友人を失った人には、この
  DVDを送ります」という言葉が、最後にスクリーン
  に出てくる。
  管理人に調べてもらったところ、このドキュメンタリーは
  日本ではなんと無料でダウンロードできるらしい。
  見逃している箇所もあるので、帰国した時に、
  じっくりと見たいと思う。
  世界がどうなっているのかを知らなければ、日本の
  政治家の大嘘も暴くことはできないし、
  理想も雲のようにつかめなくなってしまう。

  まずは、このドキュメンタリーを見て欲しい。
  英語HP
  http://www.tynewslies.org/html/loose_change_dvd.html
             (ジンバブエ 高橋朋子)

( 上記高橋が示したこのURLは ページが見つからないと表示されます。
  英語公式サイトは http://www.loosechange911.com/
  日本語公式サイトは http://www.wa3w.com/LC2J/ こちらです。 管理人)

 管理人より DVDビデオの 無料閲覧の方法をお知らせします。
 ↓ 続きを読む を 押してください。

続きを読む

■ 今日からトラベルEXPOが開催されます! 

  10月10日~13日まで、ハラレのコンファレンス
  センターで、トラベルエキスポが開催されます。
  1日目と2日目は一般客、残りの2日間はビジネス
  のために充てられています。
  第一陣のお客さんは、韓国、中国、日本から来た
  アジア人で、空港の賑やかな様子がテレビのニュー
  スで流れていました。
  私は今日、用事で南アフリカに行きますが、明日の
  昼にはハラレに戻り、エキスポに来られた日本の
  雑誌関係の方に会うことになっています。

  今、こちらはジャカランダが満開です。加えて
  ジャカランダの紫の花が散ったあとに咲くはずの
  黄色の巨大な帽子のようなアカシアまで咲き始め
  ました。
  この分でいくと、暑さの頂点に咲く火の粉のような
  火炎木まで、すでにつぼみがふくらみはじめている
  のではと心配になります。

  今年は何年かぶりにエキスポをじっくりと見学し、
  来年のジャカランダの季節には
  日本の友人、知人に呼びかけて
  ジンバブエツアーをしたいと考えています。
            (ジンバブエ 高橋朋子)

※ パソコンがうまくつながりますように・・・・と
   祈りながらの投稿です。
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