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■ 「ありがとう!オルテガ大統領」 

 数日前から、ニューヨークの国連で総会が
 開催されています。

 キューバのカストロ大統領は、今、療養中ですが、
 9月11日に、久しぶりにテレビで国民に挨拶をし
 「9,11にペンタゴンに飛行機は突っ込んでいない。
  トレードセンターでもブラックボックスはみつかって
  おらず、突っ込んだ飛行機が、民間機なのか
  どうか、徹底的に調査を続けるべきだ。」という
  声明を発表しました。

 ブッシュ大統領は、国連の壇上で、
 「キューバの国民は、もうすぐ独裁者がいなくなって
  ハッピーになるだろう」と言ったのです。
 アメリカの支配から独立のために闘ったのは、
 カストロやチェ・ゲバラです。キューバの代表団は、この
 信じがたい言葉に抗議して、全員、無言で退席しました。
 5日ほど前にも、何かのスピーチの中でブッシュは
 「マンデラは死んだ、サダム・フセインに殺された」など
 と言い、その理解しがたい場面がニュースで流れて
 いたのです。

 ニカラグアのオルテガ大統領は、「アメリカにイランや
 北朝鮮の核をどうこう言う資格はない。たとえ、核兵器
 を作ったとしてもだ。アメリカは、世界で一番はじめに
 原爆を投下して罪のない人達を殺戮したではないか!!」
 と腕をふりあげて怒りました。
 思わず、「サンキュー!」という言葉が出てきた私です。 

 原爆を落とされた国、日本の代表はどんなスピーチを
 したのか。見るチャンスはありませんでした。

  (ジンバブエ 高橋 朋子)
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高橋からのメール 

「ジンバブエへ戻ったら いろいろ書くからね!」と言っていた高橋朋子さんから あまりメールが来ないので、もしや 電気がまた切れてるのかなあ・・・と思ってメールしてみました。

彼女からの返事をご紹介します。

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

メールへの返事を書いている最中に、パソコンの画面が真っ暗になって
切れてしまいました。電気はきているのに・・・。最近、時々こういうことが
あるのです。パソコンが古くなったからでしょうか。

> 電気は通じてますか? 電話は? ^^;

断水、停電は今も日常的で変わらずです。電話は、夜中はましですが、
昼間はブログやHPにはたどりつくまえにラインが切れて、
送信受信だけでも、やたら時間がかかりあきらめることが多いのです。



●アメリカのドキュメンタリー 「LOOSE CHANGE」 をみました。NYの9.11についての内容は愕然とするものでした。
今も、イランのテレビで流れる素晴らしいドキュメンタリーを見続けています。
 このDVDは、日本語になっているでしょうか?英語版は売っています(寄付20ドルで1枚)。
 私のパソコンでは、HPは長時間見られないので、調べてもらえますか。
  ブログでも紹介したいです。


「LOOSE CHANGE」について ご存知の方いらっしゃいましたら
コメントください。 ^^私も調べてみます。

            (管理人 HAL。)

■ ビクトリアフォールズ駅 ③ 

日曜の朝、ゆるやかな坂道を登っていくと、前から
白いブラウスとひざまでのパンツ姿の女性が、
楽しげに歌いながらスキップをして坂を下りてきた。
片手にノートのバインダーを持ち、もう一方の手は
踊るようにリズムをとっている。
どんな歌を歌っているのか、耳を澄ませてみた。

  「私は人に会いに行くのよ!
  今まで会ったことのない誰かに会いに行くのよ!
  今まで会ったことのない人がやって来るのよ!」

私は立ち止まって声をかけた。
  「ハローシスター、どこに行くの?」
  「ビクトリアフォールズ駅よ。もうすぐ、ブラワヨからの
  汽車が着くのよ!今まで会ったことのない人達が降り
  てくるわ!さあ、一緒に行きましょう!」

明るく、どこか親しみのわく彼女に誘われて、私も駅に
行ってみることにした。
彼女の名前はシシリアといい、シーランド(Sealand)
という旅行会社で働いていているという。
毎朝、ブラワヨからの汽車が着く頃、駅に行き、汽車から
降りてくる観光客に、ザンべジ川下り、ゾウの背中にまた
がって散歩、サンセットクルーズなどなど、この土地なら
ではの楽しみを紹介しているのだ。
バインダーには、それらのアクティビティを一覧にした
パンフレットが綴じられていた。
この仕事について7年になるという。

駅に行くと、ブラワヨでなく、南アフリカからの列車が、到着
していた。車両はドアが木製で、深いグリーンの車体は、
よく磨かれている。コンパートメントは、シャワーとトイレ付
きで、ダイニングもあるらしい。
ドアが開くと、制服を着た白人の女性職員が、客の大きな
スーチケースを移動させているのが見えた。
この列車は、ここから居り返してブラワヨに戻るが、
2~3週間に1本だけ、ザンビアに抜けてタンザニア
まで行く列車があるらしい。

ビクトリアフォールズ駅のホームには、柵も塀もない。
人々は線路をまたいで、駅の周辺を自由に歩くことができる。
人々だけでなく、イボイノシシも2頭、人に混じって線路を
横断していた。別に珍しい光景でもないのだろう、誰も
イボイノシシに気にとめている様子はなかった。

駅の前の深い木陰の道をわたると渡ると、すぐ前に
ビクトリアフォールズホテルがある。
ホテルからは、ビクトリアの滝の白い水煙と蛇行する断崖、
ザンビア、ジンバブエ間の橋がパノラマのように眺められる。
イギリス人の入植者は、今から100年前に、これぞアフリカ
というような絶景の地に線路を引き、駅とホテルを建てた。
建てたと言っても、炎天下、木を切り、地をならし、石を積んだ
のは、その地で暮していたジンバブエの人たちだが。

ブラワヨからの列車は2時間遅れてやってきた。
列車からは、大きな荷物を抱えた人達が、よくもこんなに
乗っていたものだと思うほど、次から次と降りてくる。
乗客が全員、車両の外に出てくるまで、30分くらいかかった
のではないだろうか。
線路に降り立った人達は、あらゆる方向に散っていく。
しかし、観光客らしい人は、降りて来なかった。
シシリアはがっかりすることもなく、顔見知りの人たちと
楽しげにおしゃべりをして笑っている。
仕事のためだけでなく、この駅は、シシリアにとって
一日に一度、来なくてはどうも落ちつかない、仲間と
点呼をとりあうような場所なのだろう。

シシリアと別れたあと、私はビクトリアフォールズホテルに
行ってみた。大きな木陰のテーブルで南アフリカからの
列車で来た観光客が、絶景を眺めながら食事をしていた。
ホテルの従業員は全て黒人で、客はみな白人、
その日の客のなかには、アジア人すら見当たらなかった。

              高橋 朋子(ジンバブエ)

■ 乾期の終りを告げる雨 

 夕方、西の空に雲が広がったと思うと、夜になって
 サワサワと雨が降り出しました。数ヶ月ぶりです。
 そろそろ、乾期の終りです。
 カンカンに乾いていていた大地も空気も、この雨で
 湿りを帯び、明日は、あたり一面、うっすらと緑の
 ベールがかかったかのような美しい朝となるでしょう。
 鳥も喜び、夜明け前からにぎやかにさえずる朝に
 なるでしょう。
 
 ところで、
 今、こちらでは、うすむらさきの栴檀の花が満開で、
 甘い香りにクラ-ッと酔ってしまいそうです。
 しかし、この花は、9月には、咲いたころがないよう
 な気がします。木には、まだ黄色の実がついたまま
 なのです。
 
 また、アマリリスも咲き始めました。私の記憶では
 クリスマスの頃、満開だったと思うのです。
 ジャスミンが今頃まで、つぼみをつけているのも
 何だかおかしいし、
 今年の冬は、あまり寒くなかったとみんなが言います。
 
 ここも気候が変わっていっているのかもしれません。
 毎日、首をかしげていないで、これからは 
 咲いている花と旬の果物をダイアリーに
 メモしていこうと思います。
              
              高橋朋子(ジンバブエ)

9/10の ノースウェーブ 

高橋朋子が FMノースウェーブ  ナイトオアシス825に
連続ゲストで出演しています。
第二回目の 9/10は ジャナグルの具体的な活動について
ということで、アフリカで自分たちのレコード会社を作り
ジャナグルコンサートを開催し、活動が認められ
政府からジャナグルアートセンターの用地をもらったこと。
そのアートセンターで いろんな文化・芸術の発表の場をつくり
子どもたちの学びの場としていきたい。
そのアートセンターは 雨季に入る前にどうにか
屋根をあげることが出来た。・・・ という話をしていました。

「それでは 一曲ご紹介ください」と振られて紹介したのが
アルバム「Zimbabwe」の3曲目 Gunguwo(グングゥオ=カラス)
という曲でした。
 白人の支配・搾取を おいしいところを盗っていくカラスに重ねて
作られた歌と聴きましたが、なんと!! その曲の明るいこと!


midiファイルを聞くにはプラグインが必要です。
  ↑『Gunguwo』の試聴 MP3ファイル(427kb)
昨年のおたる潮まつりの会場で、ダンサーのバーブラとキャサリーンの
陽気なダンスを思い出して 楽しい気持ちになりました♪ ^^



◆ ジャナグルのアルバム Zimbabwe をお持ちの方、
久しぶりにCDを聴いてみてください。

 歌詞カードをお付けしませんでしたが、
ジャナグル公式ページの方に日本語訳詞のPDFがあります。
どうぞご覧ください。

◆  FMノースウェーブ  ナイトオアシス825 
 次回の放送は 9月17日 月曜夜10時からの10分間
と覚えてください。 そして 9/24の 夜10時からの10分間。
パーソナリティーは 森ルナさん。

毎回ジャナグルの音楽が流れ ジャナグルの活動について
高橋朋子が語ります。  是非是非 お忘れなく!!

■ ビクトリアフォールズで出会った人たち ② 

 一日目の夜、レストランで食事をしていると、近くのテーブ
 ルにいた女性が中国語で話しかけてきた。私を中国人だ
 と思ったらしい。
 若草色の刺繍が入ったゆったりとした服にズボン姿で、30
 代後半か。名前はヤファン、電話通信関係の仕事で各
 国を回っているとのことだった。明日はビクトリアフォール
 ズ駅から汽車でブラワヨに行き、そこから南アフリカに行くと
 言う。
 立ち話では話が終らず、食事のあと、一緒にお茶を
 飲むことにした。

 ヤファンのテーブルには、3人の男性が座っていた。
 精神科医のベン(70代)、鍼灸師のジョック(40代)、この2
 人は、カナダのガブリオラ島で、一緒に鍼灸心療所を開いて
 いるのだという。心の治療には、鍼灸だけでなく禅も取り入
 れているらしい。ベンは中国人だが、ジョックはイギリス人の
 ようだった。
 もう一人は、ヤファンの会社のサハラ以南の支店をまかされ
 ているという30代の中国人のジング。
 テーブルに着くなり、私はベンにこう聞かれた。
     「あなたは、アート人(型)ですか?」
     「はい」と私は答えた。
 
 ヤファンが席をはずしていた時、ジョックはこんな話しをした。
     「彼女は世界中に6万5千人の社員がいる会社の
      ナンバー2で、その会社にはマネージャーだけで
      2000人もいる。僕たちは、そのマネージャーたち
      に、”人とは、心で接しよう” ということを教えに回
      っているんだ。今まで教えられたマニュアルを壊しま
      しょう、ってね。」
     「僕たちは、そろそろリタイアしようと思っていたんだけ
      ど、ボス(ヤファン)の考え方は、中国にとどまらず世
      界的で、”人はみな、自分でビジネスをするようになら
      なくてはいけない”という、まるで太陽のような考えな
      んだ。
      僕らも同じ考えで、あなたも同じと思うけど、自分の
      生まれた国に自分をつなぎとめずに世界の中で生
      きているし、それでベンとこの仕事を引きうけたのさ。」

 テーブルに戻ったヤファンに、そういう考えに至った背景を
 聞いてみた。
 彼女が言うには、うつ病になる社員が増えているので、人と
 心で接し、人に愛情を持てば、すべてが明るくなることを知ら
 せたいのだと言う。
 ジョックは、うつ病は途上国、先進国に関係なく、システムや
 経済状態にも関係なく、世界的に増えている、と付け加えた。
 うつ病の治療を1対1でやっていては、10年以上かかってし
 まうので、ジャックとベンの場合は、昼間20人くらいのグルー
 プでオープンに話をし、夜に1対1で話しをする時間を持つの
 だという。
 
 ヤファンは「ロシアでは、目を閉じてと言っても、閉じることがで
      きないマネージャーがいたわね、不安がって。彼の場
      合は、ゴルバチョフからイェルツィンに代わった時に、
      何かあったのよ。」
 
 この、グループで話しを進めるというやり方は、名案に違いな
 い。
 医者と1対1でカウンセリングをしても、結局、また個室に戻って
 しまうだろう。回りにも、自分に似た人たちがいると知るだけで、
 どこかに自分をつなぎとめ、人と手をつなぐことができるので
 はないか。
 ベンは音楽を治療に使う方法を、40年前からやってきている
 と言う。ジャックとヤファンは、「心に病がある人と話し、数分後
 にその人の心の扉になる曲がわかる。ベンはその曲をみつ
 ける天才よ!」と言って称えた。

 ヤファンも自分自身、グループに加わり、1週間、2人のカウンセ
 リングを受け、気持ちがすっかり変わり、声を出して笑うように
 なったのだと言う。そのグループの人達もみな同じように、何か
 から”抜け出た”と感じ、変わったと言う。
 それで、数年前から、年に一度、3カ国を3週間かけて回り、
 マネージャーを対象にセッションをすることにしたらしい。
 昨年はニカラグア、キューバ、ブラジル、今年は、アフリカを
 まわり、明日は、南アフリカに行くというわけだ。
 ビクトリアフォールズでの2日間は、休暇だった。
 
 私達は色々な話しをした。
 ベンの鍼灸は、5000年前の方法で、
 中国には、文化大革命のころ、自由に話しをしすぎて30年
 間投獄され、今は大人数のバンドを作り、5000年前の音
 楽を演奏している偉大な人がいて・・・・・・。
 どの話も、5000年前からはじまったような気がする。
 
 不思議な3時間だった。
 
 ジンギとはいつかハラレで、
 ヤファンとは中国で、
 ベンとジャックとは、またどこかで再会しよう!と、
 握手をして別れた。

 翌朝、みんなで囲んだ丸いテーブルを見た時に、
 やっとヤファンに感じていたイメージがことばになった。
 それは、天女 である。 (つづく)
              
                  高橋 朋子(ジンバブエ)

FMノースウェーブ 第二回 

9/3の FMノースウェーブ  ナイトオアシス825 
聞いていただけたでしょうか?

 実は HAL。は 聞けなかったのです。
もし聞いた方いらっしゃいましたら 感想など 教えて下さい!!


今夜 9/10(月) 夜10時から FMノースウェーブで高橋朋子と
ジャナグルの曲が紹介されます。
82.5ヘルツ です。 (エイティーツー ポイント ファイブ♪)
第2回目の今回は ジャナグルの具体的な活動について
是非聞いてください。


※ 放送は 9月の月曜夜10時 と覚えてください。
正確には 9/3、9/10,9/17,9/24の 22時から10分間。
パーソナリティーは 森ルナさん。

毎回ジャナグルの音楽が流れ
第1回目 高橋ジンバブエへの移住のきっかけでした。

続く第3回目 ジャナグルの日本での活動について
今夜 ジャナグル(明るい月)じゃなくて明日が新月ですが 
是非是非 お忘れなく 聞いてみてください!

          (管理人 HAL。)

■ ビクトリアフォールズは、カンカン照りの暑さだった!① 

  9月1日から4日間、ビクトリアフォールズに滞在した。
  数時間の用事だったが、ハラレからの飛行機は、日に
  一便しかなく、色々な都合で3泊することになったのだ。
  
  ザ・キングダムというホテルの部屋を電話で予約した。
  ハラレでは、食材がないために、ビュッフェ(バイキング)
  をやめて、”定食一種”になっているホテルがある。
  キングダムの場合はどうだろうと思い訊ねてみると、
  怪訝そうな声で、「ここには、すべてあります!!」と
  の返事だった。本当だろうか・・・。
 
 
  ハラレの朝は、まだ冷え込みがきつく、ジャンバーを着
  なくてはならないほどだが、飛行機が中間地点のブラ
  ワヨに着陸したあたりから気温が上がりはじめ、ビクトリア
  フォールズ空港に降り立った時には、真夏の暑さだった。
  「こんなに暑かったですか?」とバスの運転手に聞くと、
  「いや、これから暑くなるんだ」との答え。
  暑いが、湿度は感じられない。
  
  ホテルで一休みし、夕食を見ようと部屋を出ると、日本
  語が聞こえた。近くの部屋から出てきた夫婦だった。
  「今晩は」と挨拶すると、
  「こんにちは!あーら、いやだ、もう今晩は、なのね。空気
  がサラサラしていてほーんとうに気持ちがええわ。ねぇ?」
  「あの、私はこちらに住んでいるんですけど。関西から
  ですか?」
  「ううん、東京やけど。あなた、ここに住んでいる?いいわ
  ねーー」と言って、私の背中を手でサーッと撫でた。  
  少し驚いたが、アフリカに来て、この人はうれしいの
  だろう、言葉が関西風になるほどゴキゲンなのだ、と
  思うことにした。
    
  レストランには、本当にこれまでどおり、ご馳走が
  ズラリと並んでいた。見かけないものと言えば、鰐の肉
  ぐらいだ。デザートのケーキだって8種類以上ある。
  色とりどりの作品のような料理が、数本の直線になって
  照明の中に浮かんでいた。
  これだけ揃っていれば、食事はあるかと聞かれて怪訝
  そうな声にもなるのも無理はない。
  
  しかし、ホテルから1歩外に出れば、食べ物らしきものは
  何も見あたらなかった。テイクアウェィの店のガラスの
  ケースは空っぽで、木陰で赤い小さなリヤカーに
  氷の塊を入れコーラやジュースを冷やして売っていた
  若者もいない。その近くで、赤ちゃんをおんぶし、
  パンにジャムを塗り、一口サイズに切って売るという
  小さな商売をしていた母さんの姿もなかった。
  マーケットの棚はガランとし、並んでいるものといえば、
  食べられないものばかり。
  
  ザンビアやボツワナとの国境が近いこの町には、
  少し違う情況があるかも知れないと思っていたが、
  首都も国境の町も、変わりはなかった。 (つづく)
     
              高橋朋子(ジンバブエ)