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11月は 日本に帰国しています 

溜まったマイレージでチケットを取りました。
マイレージ使用ではあまり空席がなく、
特に千歳発着は割り当てがなくて、帰路は成田発になりそうです。

25日には大阪に着きます。
神戸へ行って、その後下諏訪へいきます。
友人が ジンバブエの紹介を頼まれて講演する日なので、
私も加わり物販をさせてもらう予定です。
骨董の(?)携帯を持参します。

11/3 ころから小樽にいて、
11/30に成田からジンバブエへ戻ります。

お問合せは 高橋の携帯へお願いいたします。
     (高橋の携帯 090-6445-2341)
       ジャナグル日本事務所(小樽地球屋)0134-22-5537

 
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■ 木陰の教会  

木陰の教会


  こちらは雨が降らず、暑い日が続いています。といっても湿度が
 ないので、木陰はすずしく、うとうとしてしまいそうな気持ち地良さで
 すが・・・。
 
  今日、日曜日は風に乗って、お祈りやドラムやコーラスが聞こえ
 てきます。自宅の近くの草原があり、週末になると白いガウンを着た
 老若男女のグループがいくつか集まり、お祈りをするのです。

  この人たちが教会とするのは、たいていは木陰で、建物はあり
 ません。よって、建物を建てるための寄付もないようです。
  お祈りのあとは、ドラムを叩き、ホショを鳴らしてゴスペルを歌い
 ます。近くには大きな建物もなく、車もあまり通らないので、風向き
 によっては、何キロも離れたところから演奏が聞こえてくることが
 あります。

  グループが集まる所は毎週同じで、木に自分たちの教会の名前を
 貼り付けているグループもあります。
  下の写真はそのひとつで、木には RUPONESO APOSTOLIC
  CHURCH と書かれています。ルポネソとはショナ語で”あなたが
 癒される場所”という意味です。

木に掲げられた看板

  週末、ハラレでは様々なところで、白いガウンを着た人たちが
 お祈りしているのが見られます。100人を超えるグループもあれば
 子供も入れて10人ほどのグループもあります。 
  
  遠くから見ると、まるで草原に白い花が咲いているかのようです。
             (ジンバブエ 高橋)

■ ベルベデアロード沿いのアートセンター 

  ジャナグルアートセンター建設用地は、ハラレの
  ベルベデアロードにあります。
  これまでは、用地と言っても草原で、広さも形も
  実感できませんでした。しかし、このたび、やっと
  整地をすることができ、土が見え、土地の形が見え、    
  広さを実感できるようになりました。
  みなさまにアートセンターの住所をお知らせできる
  段階にきたのです!

  ★住所は 18160 Belvedere Road, Belvedere Harare

  ハラレ空港から約23Km 、シェラトンホテルから徒歩で数分です。
  広さは、幅30m,奥行き50mの四角形で1500㎡です。
 

アートセンターの入口からベルベデアロードを眺める
アートセンター入口からベルベデアロードを眺める


  これまでご支援して下さったみなさま、本当にありが
  とうございます。
  こちらは1000%を超えるインフレに8月にはゼロ
  を3ツとった新しい紙幣が発行されるなど、困難な状
  態が続いています。しかし、今年の2ヶ月間の日本ツ
  アーで、こんな時だからこそと思えるような強い励ま
  しをいただき、アートセンター建設に一歩踏み出すこ
  とにいたしました。
  長い道のりになるかもしれませんが頑張っていきます。
  
  今後とも何卒よろしくお願いいたします。
               (ジンバブエ 高橋)


googlemap より 航空写真

  ※ googleマップを使って ハラレの街を見下ろしてみました。
  黄色の矢印が アートセンター敷地
  ピンクの矢印は ベルベデアロードの入口にあたります。
  
  地図をクリックすると google mapへ移動します。
  左のスライダーを操作できますので 今度は小さくしてご覧ください。
  もう少し広く眺められるようにすると 大きい白い雲が見えてきますが
  その雲の左の端の 白っぽい建物がシェラトンホテルです。
  アートセンターから まっすぐ北へ 300m 位でしょうか。^^

                 (管理人 HAL)

■ ジャナグルアートセンター建設用地 

整地されるジャナグルアートセンター建設予定地

(2006年10月3日撮影)
  
  ジャナグルの日本ツアーが終わって一息ついた後、
  遂に用地を写真のように整地して、2mの高さのフ
  ェンスで囲みました。
  ZIMDEFの道路ももうありません。煉瓦を作れ
  そうなほこほこの赤土です。

ジャナグルアートセンターの基礎工事が始まりました

  (2006年10月14日撮影)

  その後、水道を引き、まずはアートセンターのレ 
  コーディング部門の建物の基礎、スラブの工事を
  建築会社に依頼しました。
  ワゴン車の前がゲート(入口)で、マルンガが業者と
  話しています。
  ZIMDEFの大きな建物の左に見えているのが、シェ
  ラトンホテルです。
  本格的な雨季が来る前に終わって欲しいですが・・・。、
  
  追ってご報告いたします。

■ ジャナグルアートセンター建設用地の写真 

ジャナグルアートセンター建設予定地


  (2006年2月に撮影)

  ハラレ市からジャナグルに寄付された土地の写真です。
  公的な地区で、近くには裁判所、博物館、図書館など
  があり、土地の後ろ側(北)に見えるのは、完成真近
  の政府の建物ZIMDEF「ジンバブエ人的資源開発基金」
  その隣は、まだ真新しい国際刑事警察です。

  この写真を撮った頃、この土地はごらんのとおり草ぼう
  ぼうで、お隣のZIMDEFが土地の一部を建設機材を
  運び入れる道路にしていました。

ジャナグルアートセンター建設予定地を歩く高橋

  一体、いつになったらここにアートセンターを建てられ
  るのだろう・・・と考えながら草ぼうぼうの中を歩く高橋でした。
  

アルバムをご用意しました 

フォトアイウェイに 登録をして
2006年ツアーの写真を アップしました。

高橋が 電気が時々止まってしまうという
悪条件の中 悪戦苦闘しながら
写真のコメントをかきあげました。
どうぞ お楽しみください。  ^^

よろしければ GuestBook というところに
感想など 書き込んでいただけると嬉しいです。

他にも写真があるのですが 順次 ご紹介いたします。
どうぞお楽しみに。
          (管理人 HAL)

■ 久しぶりに電気がもどりました。 

 2日間以上続いた停電がやっと解除され(といっても、またす
ぐに停電になるかもしれないのですが)、久しぶりに冷蔵庫が
グーガタガタと音をたてて景気よく働きだしました。
 満月の夜は、外でお茶でも・・・と思うほど明るいですが、昨夜
は月も欠け、雲も厚く、真っ暗闇。夜が白ばんできたのは5時過
ぎです。

 新聞に”電気のジェネレーターが数個壊れたため、修理を終え
るまで定期的に電気の供給を全国規模でカット”、という記事が
あったので、私が住む地区からそれがはじまったのかもしれませ
ん。大きな見出しに、読めないような小さな文字で地名が書かれ
た記事でした。

 こちらでは、停電になったら、すぐにテレビ、ファックスなどの電
気製品のコードをコンセントから抜かなくてはなりません。電気は
230Vですが、電気が戻ってくるときは、230Vを超えるので電気
製品がダメになってしまうのです。
 それを防ぐためのプラグも売っているのですが、恐ろしく高いの
で、今だにあわててコードを抜いてまわっています。
 
 バンドの練習も停電になれば中断です。
1984年から85年にかけて、2度来日したナイジェリアのキング
サニーアデ&ゴールデンマーキュリーバンドのメンバーと、大阪で
話をする機会がありました。
 ナイジェリアでも停電は多いらしく、「ライブ中に停電になったら、
休憩して、もし電気が戻らなかったら一眠りして終わりさ」と言って
いました。その頃はアフリカのライブは夜通し朝まで続くことも知
らなかったですし、交通事情、オイル事情も知らず、どこか遠い想
像がつかない世界でした。

 こうしてみると、アフリカは20年前も今も電気事情はたいして変わ
っていないのかもしれません。札幌のアフリカ店に来てくれたウガン
ダの友人も、最近は一日おきに停電があると言っていました。

 ナイジェリアで活躍する故フェラ・クティの息子、フェミ・クティは
演奏後のインタビューで、寄付ばかり募る教会を皮肉り、「教会は
祈れば光が見えるというけど、家々には電気もきていないんだぜ」と
言っています。ナイジェリアも庶民の暮らしは、あまり変わっていない
のでしょう。
            (ジンバブエ 高橋)

■ 日本~ジンバブエ航路の話 

ジャカランダの並木通り



 日本からジンバブエへの航路は、こんな感じです。
 千歳空港を夕方経ち、香港へ。
香港で飛行機を乗り換えて南アフリカのヨハネスバーグに。
ヨハネスバーグに到着したのは、日本を経ち22時間後の朝7時。

 飛行機のドアが開くと、目の前はアフリカの夏の匂い、
飛行場にはジャカランダに似た甘い香りがたちこめていて、
肌にしっとりと残るようでした。
 空港の建物は2010年のワールドカップに向けて増殖を続けており、
あらゆる方向に建物が伸びていっている感じです。

 機内で隣席に座った人は、国連の仕事でコンゴ(DRC)に向かう
というフィリピン人の元軍人で、50代はじめで軍隊を辞め、
国連の仕事に応募して半年契約を更新しつつ、
これまで東ティモールやリベリアにも滞在。
給料は月額US$3000で、数ヶ月働けば
田舎に小さな家を建てられるとか。
 コンゴに行くのは、再び選挙の準備が進んでいるからなのか、
聞いてみましたがわからないようでした。
 この人の娘さんは、先ごろ、日本政府が合意した
”高齢者のナーシング”(フィリピンではこう呼んでいる)”に応募し、
日本に行く日を待っているそうです。


 私は1985~86年にかけて2度フィリピンに行き、
マニラのスタジオで友人がレコーディングするのを見学したり、
当時、ヒットしていた「アナク(息子)」という曲を歌っていた
フレディ・アギラに会ったりしていたことを思い出しました。
その友人というのはアメリカ人で、出会ったのは、ボブ・マーリィの
追悼コンサートをした神戸の須磨海岸です。


 ヨハネスバーグからジンバブエの首都、ハラレまでは飛行機で
1時間半ですが乗り継ぎのための待ち時間が3時間以上あり、
ハラレに到着したのは、千歳空港を出た27時間後でした。
 こちらに着いた翌日、雷が鳴り、雨季を告げる初めての大雨が降りました。
あたりは、うっすら緑色のベールがかけられたようです。

ジンバブエは 初夏を迎えています 

ジャカランダの花

藤の花みたいな色ですが ジャカランダ という木の花です。

 4ヶ月振りにジンバブエに戻りました。
こちらは、初夏を告げるジャカランダの紫の花が満開です。
真昼は26度位まで気温が上がりますが、
夜間はすずしく長袖がいるほどです。